玉置山の頂上近く、標高1000m付近に鎮座する玉置神社は、第十代崇神天皇の時代に王城火防鎮護と悪神退散のため、
創建されたと伝えられています。
入母屋造り内陣に三社を奉祀、欅(けやき)材の堂々たる社殿です。
玉置神社境内に古くより鎮座されております三柱神社については謎が多く、説明が難しいのですが、よくご質問をいただく点などを中心に簡単にまとめさせていただきました。
まず「摂社」とは本社に付属し、本社に縁の深い神様や特別の由緒がある神様をお祀りした神社を指します。
三柱神社の神様は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・天御柱神(あめのみはしらのかみ)・国御柱神(くにのみはしらのかみ)の三柱と伝わります。
この倉稲魂神は京都府の伏見稲荷大社で農業や商売繁盛などの神様として、また天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風を司る神様としてお祀りをされていることで知られます。
三柱神社は別名「稲荷社(いなりしゃ)」とも呼ばれますが、稲荷信仰が盛んになる前から地主神(じぬしのかみ)としてお祀りをされており、厄除けや心願成就さらに精神の病(ノイローゼなど)また海上安全にも特別の霊験があるとされています。
毎年、3月の初午の日(今年は3月12日)に行われる三柱神社の例祭は初午祭とも呼ばれ、10月24日に行われる本社・玉置神社の例祭に次いで、盛大に行われます。
古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、
玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。
社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。
玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を
鎮めて祈願したと伝わっています。
大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしと
なっています。
社務所・台所は昭和63年(1988)に国指定有形重要文化財となりました。
江戸時代末期、神仏混淆であった玉置神社の別当寺であった高牟婁院の主殿及び庫裏として建立されたもので、
神仏分離後は社務所・台所および参籠所として使用されています。棟札から文化元年(1804年)の建立と判明。
社務所は入母屋造銅板葺き、桁行22メートル、梁行15メートルで、北面に玄関を設け、南面は懸造とし、
地階には参籠所を備えます。台所は桁行9メートル、梁行8.9メートルで、屋根は銅板葺き、東面は入母屋造、
西側は社務所に接続されています。
上質な書院建築と参籠所を上下に複合させた構造は、近世における修験教団の活動が作り出したものであり、
社務所および台所とも、わずかな改造を受けたのみで古い様式を今に残しています。
明治維新の際、十津川郷中すべて廃寺され、全村民が大社教に属したことから、その総元締めとして設立された。
弓神楽を奉納し、参詣者に御神符を交付し、大いにに賑わった時期もある。
伝統芸能など各種奉納の要請も多くなりつつある。
もとは2、3階になっていた。現在は一層であるが、往時の力を保っている。
神輿(みこし)は、神道の祭の際に、神が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされるのが輿である。
毎年、10月24日は当社の例大祭。この神輿が神社周辺を練り歩く勇壮な祭りです。
※改修中のため拝観を停止しております。
社務所内部は杉一枚板の板戸及び板壁60枚余で仕切られ、この全ての襖に幕末の 狩野派の絵師である法橋橘保春らの筆による、松・牡丹・孔雀・鸚鵡・鶴などを 題材とした豪華な花鳥図が描かれており、各室は襖絵の題材の名によって呼ばれています。
北側列は西から順に「孔雀の間」「老松の間」「鶴の間」「旭鶴の間」「牡丹唐獅子の間」を配し、南側列は西から順に「御殿の間」「宮司居室」「禰宜居室」及び居室2室を配します。
「孔雀の間」の北には「神殿」があります。上手に位置する「孔雀の間」「御殿の間」「神殿」は、
他の部屋より床を1段高くし、天井は格天井とするなど(他の室は棹縁天井)、格式の高い造りとなっています。「孔雀の間」「御殿の間」は聖護院門跡の入峯の際の御座所として用いられたものであり、「神殿」は神仏混淆時代には「護摩堂」と呼ばれていました。
古来より熊野三山奥宮として信仰が厚く、数々の行幸があると伝えられる。
両側の(写真)石塔は、後白河院、和泉式部参詣記念として建てられたものである。
※修復のため解体保存しております。
梵字を刻んだ釣鐘で神仏混淆時代の梵鐘。
應保三年(1163)癸巳三月三日の銘があり、元暦元年(1184)正月、源義仲の軍勢を前に、梶原景季と宇治川の先陣争いを演じた佐々木高綱(乃木希典 将軍の祖)が献納したもの と伝えられています。
銘のある鐘では、全国で11番目に古いとされている。
現在、梵鐘は十津川村郷土資料館に展示中。
奈良県指定天然記念物(1959年〈昭和34年〉2月5日指定)。3万平方メートルの玉置神社境内は
永らく聖域として伐採が禁じられていたため、温暖多雨の気候と土壌に恵まれ、樹齢3000年と
言われる神代(じんだい)杉や、常立(とこたち)杉、大(おお)杉などの巨樹を含む杉の巨樹林が成立しました。
左画像は、神代杉
左画像は、大杉
境内でも一番大きな杉で、目通り周囲11m、高さ約50m、天に向かって真っ直ぐに伸びています。